わが子の股関節脱臼を知った日

今では、すっかり良くなりましたが、ムスメちゃんは股関節脱臼でした。記憶は薄れていっていますが、当時は気持ちの上でも、日々の生活においても大変でした。(僕なんかより、長い時間ムスメちゃんの面倒を見ていた奥さんのほうが大変だったはずで、これを聞いたら「何すっとろいこと抜かしてんだ。このタコ!!!」と言うかもしれません。)


生後3か月の検診にムスメちゃんを連れていきました。身長、体重を測り

ジェロニモ
まあ うちのムスメちゃんすくすく育っているねぇ

という感じだったのですが突然、不穏な雰囲気……かかりつけの医師(以後、先生と呼称)に

両足を伸ばした時、つま先がそろっていない。赤ちゃんというのは、足を広げているのが普通の状態でムスメちゃんは、常時足を両足ピーンと伸ばしている。次の検診まで、おむつ2枚を二重にはかせて股開き運動を毎日しなさい」

 

と言われました。

こんな運動

 

そのころは、まだ生後3か月で夜中に何回も泣いて起きるので夫婦で眠い中、ミルクをあげて、おむつを交換していたものです。おむつ交換に加わった新しい工程がおむつ二重履きと股開き運動です。正直言って、まったく危機感がなくて

ジェロニモ

「先生に言われたからやっているけど、どうなんかねぇ。次の検診では『はい、よくなりました。問題ありません。』って言ってもらえるかなぁ。」

と思っていました。

(今から考えると、股開き運動の股の開かせ具合は全然なっていなかったと思います。恐々とやっていたので、あまり股をひろげてあげてなかったので効果はなかったような気がします。同じような境遇の方がいたら、力士の股割りぐらいやっちゃったほうがいいと思います。)

 

そんな日がしばらく続きました。次の検診日、先生に

「状態がよくない。専門の別の医師を紹介するのでそこで診察を受けるように。」

 

と言われました。楽観的な気持ちは打ち砕かれて、不安に心が支配されていきます。

 

後日

奥さんがムスメちゃんを専門の課がある病院に検診に連れて行きました。僕は仕事が終わり帰宅した際、結果を聞きました。

 

結論から言うと、ムスメちゃんは先天性股関節脱臼でした。

以下は奥さんから聞いたことです。

 

お医者さんにさらさらっと診断されて「先天性股関節脱臼ですよ。」と。

(先天性股関節脱臼とは、生まれつき、また、小さい時のおむつの交換時に、不具合があり股の関節が外れた状態になっている症状だそうです。)

「治療には、しばらくの間(数か月、場合によっては一年以上)装具を身につけて、股関節の骨を固定し、定着させる必要がある。」と。

そして出てきた装具がこれ……

これを見た奥さんの感想は

いかついなぁ オイ!

だそうです。

そのインパクトの余韻に浸る間もなくムスメちゃんに装具を装着していったところムスメちゃんはメチャメチャ泣いたそうです。

 

そりゃあ、泣きますよ。

外れてる骨を力づくで入れるわけですから

痛くないわけがないですよ。

刃牙の末堂でさえ痛そうにしていたし独歩先生もあれは痛いって言ってますからね。生後3か月のムスメちゃんが痛くて泣くのはしょうがないですよ。

 

奥さんはムスメちゃんがなく姿を見て泣きそうになったそうですが、しんどいのはムスメちゃんであって自分が泣くのは違うんじゃないかと思い、泣くのをグッとこらえたそうです。

 

 

そのいきさつを聞いて僕は血の気が引くのを感じました。

”なんでうちの子が!”

”ムスメちゃんは一生歩けないのか!?”

といったことが頭をよぎりました。

 

しかし、いきさつを話している奥さんは泣いていました。当然です、愛しい娘のあの姿を見たら一度はこらえた涙を止められないのは当然です。

 

僕も泣き出しそうな気持ちになりましたが夫婦二人そろって悲しさに身をゆだねるはまずい。そして、いたずらにネガティブなことを言って不安を助長するのも益がないと考えました。

なので、努めて明るく振舞い

ジェロニモ
きっと必ずムスメちゃんは良くなるから頑張っていこう。

と言いました。

しかし、そう言いながらも血の巡りが悪くなり指先に痺れを感じるような不安を感じていました。

 

とにかく、ムスメちゃんと奥さんと僕のタフな日々がスタートしたのでした。


 

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妻と娘と息子を愛してやまないゲーム好きなオッサン。座右の銘は「だってオラは人間だから」